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米国カリフォルニア州で特許事務所を経営する米国パテントエージェント兼日本弁理士が、日々の業務で体験した事、感じた事を綴っています。

"common sense"ということ-KSR最高裁判決以後の103条要件-

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米国特許の実務に携わっておられる方の多くがご存知のように、現在、米国特許の非自明性(U.S.C.103条)の判断については、2007年のKSR事件最高裁判決で示された考え方が最高の規範となっている。
KSR事件前は、大雑把に言えば、グラハムテストの4つの事実認定、すなわち、

A. 先行技術の範囲と内容の認定、
B.先行技術と対象となるクレームとの差異の認定、
C. 当業者の技術水準の認定、
D. 二次的な考慮事項の評価(secondary considerations)、
を行った上で、
教示・示唆・動機付けテスト(TSMテスト)と呼ばれる判断手法により、複数の先行技術を組合せたり、単一、或いは複数の先行技術を修正したり事により、クレームにかかる発明に創作する事が当業者にとって自明か否かによって、当該クレームが103条によって拒絶されるか否かを判断していた。

KSR事件の最高裁判決においても、上記の判断プロセスを真っ向から否定したという事ではなく、特に、グラハムテストについては、むしろその重要性と正当性?を再確認している。
ただ、TSMテストについては、厳密に、この基準のみに基づいて自明性を判断するのではなく、もっと柔軟に、プラスアルファの要素を加味すべきだというのが、まあ、判決の大筋であろう(ちょっと端折り過ぎかもしれません。ご容赦を)。

ここで登場するキーワードが、いわゆる“common sense”(常識)である。
つまり、本事件において最高裁は、先行技術からみて発明が自明であるか否かは、究極的には当業者の常識をもって柔軟に判断すべし、と言っているのだ。
例えば、最高裁は以下のように言及している。

“When there is a design need or market pressure to solve a problem and there are a finite numberof identified, predictable solutions, a person of ordinaryskill has good reason to pursue the known options withinhis or her technical grasp. If this leads to the anticipatedsuccess, it is likely the product not of innovation but ofordinary skill and common sense. In that instance the factthat a combination was obvious to try might show that itwas obvious under §103.”
「課題を解決するための設計上、又は市場からの要求が存在する場合、有限数の確認済又は予測可能な解決策が(選択肢として)あれば、通常の技術者はその者の技術理解の範囲内でそのような選択肢を試す十分な動機を持っている。もし、このような試みが予測通りの結果物を生むのだとすれば、そのような結果物は、技術の革新と呼べるものではなく、通常の技術と「常識」の産物にすぎない。このような場合、そういった複数の解決策の組合せを試みる事が自明であるという事実をもって、当該結果物は103条に基づき自明(特許性無し)である事の証明になるかもしれない。」というような事を言っているのだが。。。

実際にこの箇所は、米国特許商標庁(USPTO)の審査便覧(MPEP)に引用されている。USPTOは、「審査官側としては、複数の文献の特定の開示技術を組合わせたり、そのような技術を修正して審査対象である発明を完成させる事は、当業者にとって「常識」であると主張する事ができる。その一方、出願人側としても、そのような組合せや修正は、当業者の「常識」で考えれば不適切(improper)であるという趣旨の反論を認める」と言っているのだ(MPEP2145(Obvious To Try Rationaleの項)を参照)。

http://www.uspto.gov/web/offices/pac/mpep/documents/2100_2145.htm#sect2145


また、当然の事ながら、この自明性に関する最高裁の究極?の判断基準、「先行技術からみて発明が自明であるか否かは、究極的には当業者の「常識」をもって柔軟に判断すべし」という指針は、KSR事件後、多くの裁判で繰り返し引用、強調されている。
例えば、PHILIP W. WYERS AND WYERS PRODUCTS GROUP, INC. v. MASTER LOCK COMPANY事件(Fed.Cir. 2009)、PERFECT WEB TECHNOLOGIES, INC. v. INFOUSA, INC.事件 (Fed.Cir.2009)、等々である。

KSR事件以後のこのような103条の判断基準の動向について、私は、どうしても、日本の特許法の29条2項に関する審査基準を思い浮かべてしまう。

以下、日本国特許庁、特許・実用新案審査基準からの抜粋である。

進歩性判断の基本的な考え方
(1) 進歩性の判断は、本願発明の属する技術分野における出願時の技術水準を的確に把握した上で、当業者であればどのようにするかを常に考慮して、引用発明に基づいて当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことの「論理づけ」ができるか否かにより行う。
(2) 具体的には、請求項に係る発明及び引用発明(一又は複数)を認定した後、「論理づけ」に最も適した一の引用発明を選び、請求項に係る発明と引用発明を対比して、請求項に係る発明の発明特定事項と引用発明を特定するための事項との一致点・相違点を明らかにした上で、この引用発明や他の引用発明(周知・慣用技術も含む)の内容及び技術常識から、請求項に係る発明に対して進歩性の存在を否定し得る論理の構築を試みる。
論理づけは、種々の観点、広範な観点から行うことが可能である。
例えば、請求項に係る発明が、引用発明からの最適材料の選択あるいは設計変更や単なる寄せ集めに該当するかどうか検討したり、あるいは、引用発明の内容に動機づけとなり得るものがあるかどうかを検討する。また、引用発明と比較した有利な効果が明細書等の記載から明確に把握される場合には、進歩性の存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として、これを参酌する。
その結果、「論理づけ」ができた場合は請求項に係る発明の進歩性は否定され、「論理づけ」ができない場合は進歩性は否定されない。

日本で特許出願の中間処理を行っていた時、上記の審査基準について、漠然と感じていた事がある。

それは、上記のような審査基準をみれば、一見、極めて客観的、且つ、機械的に進歩性の判断が行われるようにも思える。しかし、では、(進歩性の存在を否定し得る)「論理づけ」とは何だ?という議論になると、本当にこれって客観的なのか?という事だ。

究極的には、当該発明の技術的効果というか、技術的価値のようなものに対する相当に主観的な判断ではないのか。。。という気がしていたのだ。

ちなみに、日本の審査基準では、この「論理づけ」について幾つかの具体例を挙げ、さらに詳細に説明してはいる。しかし、それを読んでみても、上記のような疑問というか、モヤモヤ感が消える事はなかった。

その一方で、「結局、先行技術と発明との相違点について、この「論理づけ」が可能か否かをめぐって、当該発明の技術的価値をどれだけ説得力のあるものとして語れるのかが、特許実務者の腕の見せどころ、という事で中間処理業務も捨てたものではない、面白いのだ。」と勝手に納得していた。

今回のKSR事件の最高裁判決でことさら強調された(当業者の)「常識」という言葉の意味を考えると、個人的には、中間処理の実務に携わる者としての、極めて自己満足的なものだが、ある種の使命感のようなものが湧き上がる。(笑)

これは、全くの個人的な見解で、しかも、技術者サイドの視点からみた感覚的なものなので、法律の専門家に言ったらぶっ飛ばされるかもしれないが、私は以下のように考えている。

当業者の「常識」と言ったって、特定の技術分野の中でも、技術に対する認識や常識や目まぐるしく変化している。また、当業者が2人いれば常識も2つあるといっても、さして言い過ぎではないだろう。そもそも、一秒前の常識を覆す一人の当業者の「ひらめき」が発明を生むのであり、たとえ出願時の瞬間をとっても、その分野における世界中の当業者常識なんてものは、十人十色でデコボコしたものなのではないだろうか?

しかし、だからこそ、この最高裁の示したこの極めて曖昧な「常識」という言葉、意外に素敵な言葉に思えるのだ。なぜなら、この最高裁の言葉に従えば、例えば中間処理の現場において、先行技術に対する当該発明の自明性を主張する(特許性を否定する)審査官に対し、代理人としては、特許実務者の腕の見せどころとして、「当該発明の技術的価値を、技術的な側面から説得力のあるものとして語り」、「これが当業者の常識です」と、締めれば筋が通る(ただし、技術的に見て説得力のない議論ではダメだが)。

結局、発明というのは、発明者の「ひらめき」の産物であり、どんな発明にもそれが生まれる瞬間には何らかの「ハッ」とした感動があるのではないだろうか。日本であれ米国であれ、そのような感動を審査官に伝えるのが出願(中間処理)実務者の仕事であり、ある意味、その感動をどれだけ効果的に審査官に伝える事ができるのかが、その実務者の力量なのだろうと思う。

変な事を言うようだが、そういう感動を審査官に伝えるという意味で、やはり、たとえ書面であっても、審査官に反論する気合とか、そういうのは結構大事だと思う。そして、究極的には、技術的な観点から強い議論ができた方が勝つ!と理屈抜きでそう感じるのだ。そういう意味では、包袋の記録を傷つけない程度で、時には主観的な議論も大いに結構!と思うわけだ。間違っているだろうか。。。?(笑)

もっとも、実務者としての力量がまだまだ足りていない私は、あまり偉そうな事を言える立場ではないのだが。。。(汗)


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プロフィール

中西康一郎 (Koichiro Nakanishi)

Author:中西康一郎 (Koichiro Nakanishi)
日本の特許事務所、企業知財部勤務の経験を経た後に渡米し、米国の特許法律事務所に8年勤務後、米国テキサス州ヒューストンにおいて、日本企業の米国特許出願代理を専門とする代理人事務所(Nakanishi IP Associates, LLC)を開設しました。2016年5月、事務所を米国カリフォルニア州サクラメントに移転しました。

現在、Nakanishi IP Assocites, LLC 代表

資格:
日本弁理士
米国パテントエージェント

事務所名:Nakanishi IP Associates, LLC
所在地:
6929 Sunrise Blvd. Suite 102D
Citrus Heights, California 95610, USA

Website:
Nakanishi IP Associates, LLC

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